【やめたコト】週末のToDoリスト
平日はGoogleカレンダーとToDoリストで自己管理(たぶん)バリバリ仕事を回している(おおよそ)
そんな人ほど週末は予定を作らず行きあたりばったりで過ごすことをオススメしたい。
僕のように中途半端に自己管理をしていると、一日のタスクが毎日残尿感のごときちょぴっと漏れる。
漏れたタスクは自然翌日へと持ち越され、週末に蓄積されていく。
仕事タスクは翌週へ持ち出せるが、細々したプライベートタスクは「週末だし時間あるしね♪」なんつって積み上げる。
はっきり言おう。
このパターンでタスクが捌けた試しがない。
よく考えると平日よりハードワークになってやしないか。
ひとつひとつは些事だが、集まるとキングスライムのように強敵になってやしないか。
そして日曜日の夕方に溢れた未チェックのタスクをみて凹んでやしないか。
子ども時代にサザエさんのテーマ曲で感じた虚無感を今また味わってやしないか。
週末はなにもするな
このご時世だ。週末こそ何もせず、欲望のままに生きればよいではないか。
寝過ごしてもよい。
昼から酒を煽ってもよい。
朝までドラマ一気観してもよい。
非生産的でよい。
働き方改革だ。AIの台頭だ。だからスキマ時間でスキルアップ!しんどい!
スキル上げたもん勝ち!人脈作ったもん勝ち!しんどい!
必要なのは休息だ。心と身体の充電だ。
そのために「やらなきゃいけないこと」を減らせ。
コトのチートデイだ。
些事を減らせ。
些事を生むモノを減らせ。
タスクを生む関係性を減らせ。
ミニマリズムとはかくいうものであると思う。
あなたにとって本当に必要なもの(こと)はそれほど多くない。
観客すら黙らせる『刑事ニコ/法の死角』
公開 | 1988年 |
---|---|
制作 | アメリカ |
時間 | 99分 |
監督 | アンドリュー・デイヴィス |
出演 | スティーヴン・セガール/パム・グリア/シャロン・ストーン |
スティーブン・セガールの初主演作。製作・脚本も兼ねており、セガール主演作の一貫した無敵像はすでにこの段階で垣間見える。
元CIAの特殊工作員で現在はシカゴの敏腕刑事セガール。特技は合気道。悪いやつの手首は全て折る。でも決して悪には折れない典型的な勧善懲悪もの。
ブレイク前のシャロン・ストーンや当時は黒人アクション女優のアイコンであったパム・グリアなどが華を添えており、今観ると配役の妙が冴える。
世の映画ジャンルには「〇〇の前と後」という基準がある。
〇〇には映画タイトルが入る。その作品によって以降製作される世界観の在り方、演出表現まで変わってしまうような強い影響力、エポックメイキングとなった神作たち。
例えばSFなら『スターウォーズ*1』、サイバーパンクなら『ブレードランナー*2』。ミリタリーなら『プライベート・ライアン*3』といった感じ。
そこへきてセガールである。
90年前後アメリカのアクション映画といえば筋骨隆々の役者が腕をぶん回して殴り合うプロレス的な演出がほとんどであった。
そんな中『合気道』というオリエンタルな武道を引っさげてデビューしたスティーブン・セガール。
無表情に敵の手首をバキバキに折るセガール。
どこから敵が来ても最小限の動きで鼻を折るコスパがいいセガール。
「力」ばかりが目立つアメリカアクションに「技」を持ち込んだのは、まさにエポックメイキングといえるのではなかろうか。
そんな立役者のセガールであるが、どういうわけか語られることが少ない。
それどころか、毎年B級作品を量産する「沈黙…wのおっさんw」という扱いなのである。
何故であろうか?
いつ頃からか固定化されたソリッドな生え際が原因か。
溢れかえる安岡力也*4感であろうか。
僕は彼の持つ「絡みづらさ」なスタイルにあると思う。
彼の出演する作品はその殆どが主演であるが「オレ様」の世界である。
彼の周りの人々は例外なく彼を尊敬し崇め称える。敵でさえも一目置く男。
「世界の中心で、オレがなぐる」
「オレか、オレ以外」
それがセガール作品だ。
ゆえにそこに漂うのは、気軽に声をかけられない泥土のような空気。日常生活に支障はないがシャレが通じない隣人。寡黙なジャイアン。
どれだけラジー賞*5常連の「沈黙シリーズ」を重ねようとみな畏敬の念をこめて「兄貴」と呼ぶ。
それが彼のキャラクターだ。
そのオーラはモニターを通じて伝染する。
なぜか観客ですら「語りづらい」そんな空気を醸し出す。
とどめにプーチンとプライベートで仲良し
極悪な情報だ。
アンタッチャブル。
彼のことは多く語れない。
そう思わせる稀有な俳優スティーブン・セガール。
これからもその唯我独尊なスタイルを貫いてほしいと思う。
- セガールは特徴があって書きやすいね。筆の強弱と滑らかさがうまく出せません。筆圧強男の悩み。
捨てたモノはとっとと忘れよう
ミニマリズムを知り、このブログを開いて6年近く経つ。
その間、記録として手放したモノの記事をアップしていたが、ちょっと違うなと思ってきたのでやめることにする。
モノに関しては過去を振り返らない
約5年以上の捨てたモノの記録があるが、それを振り返ってみたことは一度もなかった。
過去の教訓がこれからの人生に役に立つことは重々にしてあるが、こと捨てたモノの記録はそれに該当しなかったようだ。
手放したものはさっさと忘れてしまおう。それでも覚えていたらそれは必要なモノである。
いつまでもやるもんじゃない
永々と定期更新できているのはどういう了見であろうか?
いつまでもモノが減っていないってことだ。けっきょく思い切りが足りず、手放すペースが遅いだけ。
あわよくば記事にしようと意図的にペースを落とすこともあった。
記事にしようと一つ一つに思いを馳せる時間があるんだったらとっとと手放して次に進もう。
手放すことが目的になってはいけない。
役に立つ情報じゃない
他の人の捨てたモノの記事は何かしら求心力があっていつも読んでしまうのだが「役に立ったか」と言われると怪しい。
必要とする人もいるかもしれないが、捨てたモノを延々と披露しても、当人にとってはゴミの羅列である。完全なる自己満足。
書いた本人が見返さないような記事を量産するのは本望ではない。
「なるほど」と思ってもらえるような、役立つ情報を載せていきたいと考えている。
ただ写真に収めておくだけで良い
『ぼくモノ』*1の佐々木さんも捨てたものは写真におさめて、数年経ったらそのデータもまとめて捨てているそう。
それくらいの軽い記録でいいのだと思う。
*1:佐々木典士著:『ぼくたちに、もうモノは必要ない。』僕がミニマリズムと出会うきっかけとなった本
冴え渡る狼狽芸『バーニー・トムソンの殺人日記』
公開 |
2015年 |
---|---|
制作 | カナダ・イギリス・アメリカ合作 |
時間 | 96分 |
監督 | ロバート・カーライル |
出演 | ロバート・カーライル/レイ・ウィンストン/エマ・トンプソン |
『トレインスポッティング』で知られるロバート・カーライル主演・監督のブラックコメディ。
モンティ・パイソンを彷彿とさせる下品で粗野なブリテッシュブラックジョークは見る人を選ぶ出来栄え。
グラスゴーの冴えない理髪師カーライルは雇用の口論の末、オーナーを誤って殺してしまう。泣きついた母親の言われるままに遺体を運ぶが実家の冷蔵庫からは別のバラバラ遺体が…
冴え渡る狼狽芸
『トレインスポッティング』*1での振り切ったキレ芸から今作の見ているこっちがイライラする情けない狼狽っぷり。感情のバロメーターがぶっ壊れてるカーライルの演技は見事である
とかく登場人物すべての倫理観が最低なのがこの映画の魅力であるのだが、その全員を余裕で食っていくのがカーライルの母エマ・トンプソンのビッチばばあっぷり。
アカデミー賞主演女優で芸能一家、コメディエンヌとして活動していた時期もあり、憑依したかのような下層階級の元売春婦の再現度はまさにコント。
元気いっぱいにクソ憎たらしい。
ちなみに2021年現在ロバート・カーライル59歳、エマ・トンプソン61歳である。これを親子として納得たらしめるエマ・トンプソンのオーラがすごい。
この唯我独尊の母がただ存在するだけで物語はとにかくクソミソの方向へ走り出す。
行動から息子に対する態度から逝き際のセリフまですべてが最低である鬼畜ママをご堪能いただきたい。
控えめにいって最高です。
- 板タブ初使用。むず…かしい。photoshopはよく使うがイラストで使うと勝手が違う。 慣れれば問題ないのだろうけどブラシの管理とか面倒そうだなぁ。慣れよりもイラスト専用ソフトを使ったほうが早そう
*1:トレインスポッティングとは:ポン中と愉快な仲間たち
ユニクロやめました
無印良品週間のついでに久しぶりにユニクロを長めに物色。
クローゼットの8割の服はユニクロと無印良品でまかなっているが、最近ユニクロをみてモヤリとするので内なる自分に問いかける。
ときめかない
誰にでも良い服をお手頃価格でというコンセプトのユニクロ。ラインナップは「the無難」。誰が着てもそれなりに見栄えするバランスの良さが魅力だが、その八方美人スタンスに魅力が感じられなくなってしまった。
合コンで「いい人なんだけど…」と微笑みでスルーされる男と同じだ。
ときめかない服はただの消耗品となってしまい大事にしなくなる。
ちょっとの我を通すこだわりでグッとシンパシーが増すのだが…
選択肢が多すぎる
毎度長居してしまうレベルのスキのない商品ラインナップ。
選択肢が多すぎて選択疲れが100%の確率で起きる。ジャムの法則*1のように選択肢は少ないほうが気持ちが楽。
買い物でストレスためるなんて本末転倒である。そしてバーストした脳みそで選ぶと余計なものを買いがち。
また膨大なモノをみていると昨今問題になっている服の大量廃棄も頭をよぎる。
いつでもどこでも簡単に手に入る利便性は圧倒的強さだが、それだけに手に入ったものの価値は低く見積もってしまう。
飽きれば捨てるを助長してしまいかねない。
いまやプチプラファッションではない
一昔前の安いイメージはもはやない。他ブランドの企業努力のかいあって定番品であればほとんど差がない価格帯に落ち着いている。
セールが多いので安いイメージがあるが、頻繁にセールができるということは、本来の価値は如何ほどのものなのか想像すべしである。
そもそもセールによって大量に買わせようとする戦略にはハマりたくない。(過去にセール品の大量買いで後悔したこと多数)
ということで少し距離をとろうと思う。
店内は春物の売出しで整理券を配るほどの盛況ぶりであったが、これから先、明らかに店舗の混雑が予想される戦略は打ちにくくなる。
さらに外出の減少で服の需要も減るだろう。
そうなった時にどのような展望を見せてくれるのか静観したい所存である。
*1:選択肢が多すぎると、選ぶことに困難を感じてしまう心理作用