子育てリモートワーカーのセブンルール
毎日血反吐を吐いている子育てリモートワーカーのみなさんにぼくのセブンルールをご紹介。
- 早起きは早ければ早いほどいい
- 食事は家族と同じタイミングで
- 仕事は決まった場所で
- 家事と運動は同一線上にある
- 「動ける服」ただそれだけあればよい
- リフレッシュは手・足・顔を洗う
- 子どもの活動時間に合わせて生活する
- まとめ
早起きは早ければ早いほどいい
家事、子育て、仕事。この全てを効率よく回そうとすると、ぶっちゃけ集中できる時間は朝しかない。
リモートワーカーは時間があると思われるが、こと子育てが加わると逆に集中時間が激減する。
すべての家事が終わり、子どもが寝静まった深夜に時間を確保するパターンもあるが、朝のバタバタとした準備がより悲惨になるのでおすすめしない。
早起きが難しい?大丈夫。年を取れば自然と朝早く目覚める。そんなもんである。
食事は家族と同じタイミングで
家族顔を合わせて食事する。これはリモートワーカーの特典である。
たまに「子どもとの食事は食べた気がしない」といって、子どもを送り出してからゆっくり一人で食事する人がいるが、なにをいう。
子どもなんて放っておいても親と食事しなくなるのだ。
いましかできないことを、しっかりと享受するべきである。
仕事は決まった場所で
リモートワークの唯一の問題は家庭と仕事場の境目があいまいなこと。
1ルームであろうが自分の部屋がなかろうが固定化した仕事スペースは確保するべし。
数千円のデスクと椅子でいい。ちゃんと区切られた『仕事場』をつくること。
家族共有のダイニングテーブルなどはおすすめしない。
「仕事を家庭に持ち込まない」
通勤時代と同じルールを守ろう。
家事と運動は同一線上にある
子育ては思い通りに時間が使えない。
そのためジムやジョギングなど決まった時間の習慣が定着しずらい。
運動と生活は同一線上にあると考える。ただの家事も筋肉の張りを意識するだけでフィットネスとなる。
「動く」=「運動」である
「動ける服」ただそれだけあればよい
デスクワークと家事、静と動が目まぐるしく入れ替わる毎日。
仕事着とは異なる『戦闘服』が必要。
どのような動きにも追随し、汚れにも強い。
ジャージをオススメする。
リフレッシュは手・足・顔を洗う
不用意な外出や気軽に人と会うこともまならない昨今。
もっともお手軽なリフレッシュ方法は『洗う』である。
手・足・顔を水でバシャバシャ洗う。3秒チャージ。
夏は冷水でcoolに、冬は足湯などバリエーションも豊富。
監視されないリモート環境、いっそのこと風呂に入るなんてのもありである。
子どもの活動時間に合わせて生活する
小学生の子ども帰宅する15時ころから、ほぼ集中することが難しくなる。
よってこれをデッドラインとし、家事や子供との対話に集中する。
タイムカード上はまだ勤務中であるが、その分早朝に作業を進めているので相殺と考えている。
オンラインミーティングや対話の多い職場は難しいかもしれないが、その日の一番重い業務を早朝にもってくるだけで案外ちゃんと仕事は達成するものである。
就寝時間を子どもにあわせると、早起きも辛くない。
翌朝また早朝から活動できる。魚河岸の生活サイクルに近い働き方。
まとめ
- 早起きは早ければ早いほどいい
- 食事は家族と同じタイミングで
- 仕事は決まった場所で
- 家事と運動は同一線上にある
- 「動ける服」ただそれだけあればよい
- リフレッシュは手・足・顔を洗う
- 子どもの活動時間に合わせて生活する
電子書籍VS紙の本、やっぱり紙がいい
巣ごもりも2年目にもなると、もうすっかり馴染んでしまい、パソコンの前にいないときはもっぱら読書に明け暮れております。
漫画から雑誌、文学、ビジネス書まで乱読している次第。
そこでよく耳にするのが「紙の本」vs「電子書籍」。
もうずーっとずーっと読書家の間で議題にあがるテーマですが、いまはほぼ結論がでているようで「好きにしろ」が大半の意見のようです。
ご想像のとおり将来的には電子書籍が主流になるでしょうが、それはすぐ先の未来ではなさそうです。しばらくは電子と紙両方の取り扱いで落ち着くでしょう。
つまり今のところはどっちが便利で楽しいかで選んでいいように思います。
読書スタイルは循環
そんな中、僕は紙の本をベースに読んでいます。ただ買ってばかりだと際限なく増えていくので常に循環させて蔵書は一定数になるように調整しています。
売却↔購入と本棚を常にリフレッシュしている状態。手間もかかります。
ではなぜ紙の本なのか?
それにはこんな理由があります。
俯瞰できる
本はすべて一つの本棚に集約しているので、全体を俯瞰で見ることができます。
レイアウトを平積みにしたりと変化をつけることで「積ん読」「再読」「売却候補」と自分なりの分類ができる。
むろん電子書籍でも本棚のような整理はできるんですが、あれは棚というよりやっぱりリストなんですよ。
僕は『ヴィレッジヴァンガード*1』のように自分なりの関連付けで並べたりするので、常に棚卸しして楽しみたいんです。
これは電子書籍の本棚では難しい。
自制できる
読書家であれば感情の赴くままに本を爆買いするなんてことあるでしょう?ねぇ、あるでしょう?
経験上、紙の本は本棚に物理的に並んでいるので読み忘れる、悪い場合は買って忘れるなんてことはないんですが、電子書籍はリストの中に埋もれて忘れてしまうってことが頻繁にあったんですよ。
特に無料本とかセールで大人買いした本とかは買って満足になりがちです。
本棚はキャパに限界があるので、積ん読がたまり過ぎず、戒めにもなるので浪費が抑えられます。
選択肢を減らせる
スマホ一台に数万冊の本が収まる。それが電子書籍の最大の魅力ですが、本好きにとってそれは本当に良いものなのでしょうか。
どれだけ時間があろうと速読ができようと、その時その場で読む本は一冊です。
常に書店まるごとに匹敵する本が手の中にあると考えると、目移りしてしまうのではないでしょうか。
Youtubeのザッピングのように表面をなでてすぐ次に移行する。数冊前になにを読んでいたかも思い出せない。
手軽さにはそういった怖さも潜んでいるように感じます。
せっかくお金と時間をかけて手に入れた本です。ちゃんと接したいですね。
まだまだ紙しかない本がたくさんある
限られたディスプレイスペースでしか展開できない電子書籍は、図表やビジュアルの表示は分が悪い。
そのため画集など大型本は電子書籍化されていないことがよくあります。
そして、絵本や飛び出す仕掛けがある本。デザインや紙質にもこだわった上質な書籍も電子化は不可能です。
ただの情報ではなく、触って楽しむ体験を得るには紙の本でなければなりません。
いずれデジタルだから楽しめる本というものが出てくるでしょうが、それはそれで楽しみですね。
「電子書籍では揃わないが、紙の本では揃う」今現在ではそういう勢力図になっています。
共有できる
電子書籍は基本的に一つのアカウントだけに割り当てられます。原則としてお一人様用なんですね。
つまり貸し借りができない。
たとえば友達や家族に「あの本めちゃくちゃ面白かったよ。読んでみて。」なんておすすめする場合、紙の本であればその場で貸したりあげたりとすぐに共有できるわけです。
電子書籍はこうはいかない。「この本めっちゃ面白かったよ。ぜひ買ってみて」「ステマかよ」
こうなる。
また、お子さんのいるご家庭では本棚があると、子どもが興味を持って読み始めることがある。自分の知らない世界を知るきっかけにもなるわけです。
専有しない。それも紙の本の魅力です。
最終的に安くつく
ミニマリスト界隈の人がよくいう「紙の本は場所を専有する。モノを置く場所にも家賃がかかってるんだ。断捨離はまっさきに本から始めろ」的論調。しゃらくせぇ。
これは「本は読んだらゴミ」という感覚の方々の意見。好きなものは好きなだけ持っていてよい。
また紙の本は高くつくという意見もあります。
確かに販売価格はどれも電子書籍がわずかに安いし、なにより電子書籍はセールが頻繁にあるのでタイミングがよければ半額で購入できたりとお得感を強く感じます。
ただですね。紙の本も負けてません。
紙の本には古書という奥の手がある。中古本を定価より安く買い、読み終われば売る。このローテーションで電子書籍よりも安価になることがしばしばあります。
そもそも、電子書籍のセールでは欲しい本をピンポイントで射止めるのは運しかないんですよ。
新しめの本は古本屋を巡ったほうが出会う率は高い。
一生持ち続ける本なんてごく一部。紙であろうがデータであろうが溜め込まずに循環させるのが自然の摂理かと。
デジタルデトックスに最適
電子書籍は主にスマホorタブレットで読みます。目がめっちゃ疲れる。
いうてもブルーライトですからね。
Kindleなど専用端末であっても光るものを見続けるのは辛いです。
近年スマホの酷使による『スマホ脳』なんて言葉も出てきたりデジタルガジェットに対して警鐘を鳴らす意見も多くなってきました。
週末はスマホを始めデジタル機器に触らない『デジタルデトックス』が流行るのもうなずけます。
終始アナログに徹する紙の本。おすすめです。
まとめ
これはあくまで僕が思う紙の本の素晴らしさです。
読書の方法はひとそれぞれ。
本が好きで読書ができる余裕があること。それこそが尊いですね。
- 俯瞰できる
- 自制できる
- 選択肢を減らせる
- まだまだ紙しかない本がたくさんある
- 共有できる
- 最終的に安くつく
よき読書ライフを!
*1:ヴィレッジヴァンガードとは:本/音楽/雑貨の物量ジャングルのお店。最近は散策すると酔う。
エロいなシャルロット『サンバ』
公開 | 2014年 |
---|---|
制作 | フランス |
時間 | 119分 |
監督 | エリック・トレダノ/オリビエ・ナカシュ |
出演 | オマール・シー/シャルロット・ゲンズブール/タハール・ラヒム |
大ヒットを記録したフランス映画「最強のふたり」のエリック・トレダノ&オリビエ・ナカシュ監督と主演のオマール・シーが再タッグを組んだハートフルコメディ。
移民であるオマール・シーの「いい人っぷりに感化されてみんなハッピー♪」な展開を予想しがちだが日本人目線でみるとそこまでいい人でもない。だがそこがいい。
中高生の時分、VHSで借りた『なまいきシャルロット*1』を親に隠れて鑑賞。問題のシーンだけを繰り返し繰り返し観る薄暗い思春期をすごしたもんです。無論ストーリーは知らない。
シャルロット・ゲンズブールとはそんなワンシークエンスの初恋であった。
数十年経ち、再度相見まえたのは『ニンフォマニアック*2』というこれまた衝撃作。本編は未見であるが、海外の無修正版のインデックスを見てしまう。
多淫症ゆえに不感症になってしまった女をまさに体当たりで熱演しており、一部CGを使っているとはいえ絡みのシーンはハードコアポルノといっても過言ではない超過激な作品。
初恋の女性に大人になって再会したら、まあまあ前向きに風俗嬢になっていたような気分。
胸にざわつく背徳感と黒い期待を抱かざるを得ない女優。それがシャルロット・ゲンズブールだ。
そんな彼女がハートフルコメディである。あの常に陰(淫)をまとった彼女がコメディである。頭が追いつかない。そんな視線は持ちあわせていない。
垂れ流される熟成されたエロオーラと年増の悲喜との巧みなミックス。ブルーチーズの如き癖になる臭気。それが僕の中のシャルロット・ゲンズブールである。
ちなみのストーリーは主人公のサンバがその笑顔で人々を幸せにするとかいってるが、結局人の女と寝取って大揉めである。
フランス映画って…
- 水彩っぽいのを目指したが昭和映画看板風に。。難しいね。
登場人物だいたいサイコパス『ゴジラvsビオランテ』
公開 | 1989年 |
---|---|
制作 | 日本 |
時間 | 105分 |
監督 | 大森一樹 |
出演 | 三田村邦彦/田中好子/高嶋政伸/峰岸徹 |
ゴジラシリーズ17作目。平成ゴジラシリーズでは第一弾となる作品だが、舞台としては前作『ゴジラ』の直後からスタートするため直接の続編にあたる。
シリーズ中、最もグロい見た目かつ悲しきフランケンとして誕生したビオランテだが、思いのほか出番は少ない。
それよりもゴジラ出現に備えて対策を練る自衛隊やゴジラの細胞で金儲けしようとする企業を含めたワチャワチャした人間ドラマが見どころである。
恐縮ながらゴジラシリーズはこの『ゴジラvsビオランテ』と『シン・ゴジラ*1』しか観たことがない。
しかしこの『バトルヒーター*2』を彷彿をさせるビオランテの造形だけが妙に生々しく記憶に残っている。子どもへの配慮を無視したグロさよね。
実はゴジラの登場は物語が半分近く進んでから。
どちらかといえば焦点はゴジラという災害への対策を講じる自衛隊や利潤を追い求める企業とのイザコザなど「人」に比重が大きい。この点はシン・ゴジラとも共通点があるかもしれない。
大きく異なるのはシン・ゴジラがゴジラへの対応を実際に我々が体験した震災にダブらせて、政府や各省庁の対応をリアルに描いているのに対し、今作はどうにも登場人物がうろんな存在。
事故で娘を失った植物博士がゴジラの細胞と娘のDNAを組み込んだ植物を融合。超絶進化を遂げビオランテが誕生するわけだが、これは博士の倫理観皆無の100%のエゴで作り出したよね。
そしてビオランテに呼応して出現するゴジラ。この事態の元凶で間違いないこの博士、ことが進行してもまったくの傍観者。常にヌボーっと立っている。
早く病院か警察に連絡を。
ストーリーを引っ張る人間側の主人公三田村邦彦。
男前感を前面に押し出したアクションを披露。しかし仲間が死のうが目の前で殺し屋が蒸発しようが、次のカットではケロッとして田中好子とイチャイチャウフフである。
殉職した相棒根岸徹が不憫でならない。
極めつけは当時若手俳優の高嶋政伸。
昨今の怪演とは比べ物にならない終始無表情な自衛官。演技スタイルなのか腹話術人形のほうがまだ感情があると思えるクレバーっぷり。
ボタン一つで殺し屋を蒸発だー。
そしてほぼ瞬殺されたビオランテをあとに「ちょっと熱があるんで帰ります」的に海中へ没するゴジラ。
それをなんとなく納得して見送る一堂。
人のエゴと無力感だけが漂う。
ただ一点眼福だったのは、スーパーX2のオペレーターである若き日の豊原功補と鈴木京香。裏でデキてそうな雰囲気がたまらない。
- どうやっても手数が多くなる。もっとシンプルな塗りで表現したいなぁ。。
脚色というクラッシャー『47RONIN』
公開 | 2016年 |
---|---|
制作 | アメリカ |
時間 | 121分 |
監督 | カール・リンシュ |
出演 | キアヌ・リーブス/真田広之/柴咲コウ/浅野忠信/菊地凛子 |
キアヌ・リーブス主演、忠臣蔵をベースにしたファンタジー・アドベンチャー。
日本の心『忠臣蔵』のベースプロットがあることはわかるが、実在しない下男と赤穂の姫のラブストーリーというディズニーの如き王道路線に。
日本人の「コレじゃない」のため息がこだまするなか、海外でもイマイチ刺さらなかったようで酷評が目立つ。
2020年Netflixで続編の製作が報じられた。マジで。
ここ10年で日本人俳優によるハイウッドでの活躍がとても多くなってきた。
やはり筆頭は渡辺謙だろう。『ラスト・サムライ*1』で見せたネイティブではないが堂々とした英語は、英語アレルギーのある日本人に勇気を与えてくれたように思う。
それを引き金に日本の文化、歴史イベントにも注目度が集まっているのであろうか。
もとより海外ではキラーコンテンツである「忍者」「侍」。
侍の在り方の見本ともいうべき『忠臣蔵』に目をつけるのは当然かも知れない。
してこの作品を観覧済みの方にお聞きしたい。どう?これ。
僕の感想はキアヌ・リーブス主演で!日本人俳優が大挙して出演なのに!である。
まず!ベースは紛れもなく忠臣蔵である。それは間違いない。
ただし物語を引っ張るのがすべて非実在系キャラクター。
天狗に育てられた異国の血を引く青年キアヌ、傾国を企む妖術師菊地凛子。
そぎ落とせば、ほぼこの二人で物語が動いており、ほかは添え物に近い。
忠臣蔵という骨子は走りつつも、姫との淡い恋事情と裏で暗躍する魔法使いという設定が表皮を塗りつぶす。この関係性は『白雪姫』に近いのである。さしずめ四十七士は7人の小人であろうか。
忠臣蔵は命を賭した忠義心と負けの美学という日本人の大好きなエッセンスが凝縮された史実。この日本独特のセンスをそのまま海外に持っていっても伝わりづらいというのはなんとなくわかる。
しかし、いかに下敷きとはいえ、もはやモブと化した四十七士。脚色の怖さとはかく言うものか。
- 主線のない厚塗りにチャレンジ。まだまだ大人の塗り絵感。
*1:ラスト・サムライとは:明治初期、時代に取り残された侍たちの生き様を描く傑作